父が胃がんになった(看護師として何ができたか)

日記

私はアロマセラピストとして病院で活動していました。

何でセラピストの資格をとったのか。

今日はそのお話です。

父のお話です

父がガンって言われ時、

ぶっちゃけ信じられませんでした

父は太っていたし、まだバリバリ働いていたし
しかもまだ50代

そんなこと何の根拠になるわけないのに、父はもっと長生きすると思っていました

そんな父のことを忘れないために,記事にまとめていこうと思います

父の闘病中どんなふうにケアしていたかも書いてみました。

お時間ない方は目次から項目ごとに飛んでください。。

同じ胃がんの方、胃がんの家族の方へ

何らかの役に立ちますように。

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父の病気

もう10年以上前、父は胃がんになりました。

まだ、年齢は56歳

車が大好きで、今度の買い替えはこれにしようとお目当ての車が載った雑誌を良く見せられてました。

たまたま実家へ電話をしたある日、

父から、

「献血した検査データーがおかしい。再検査に行ったほうがいいときたがなんだろうか」と言われました。

検査データーを聞いたところ、詳しくはここには書きませんが、健康な人は

下がることがない検査項目が極端に少なくなっていました。

すぐに病院へ行って検査してもらったほうがいいと伝え、父はすぐ近くの血圧のお薬をもらっているクリニックへ行ったようだけど。

なんと!その病院でいわれたのが、

私

「栄養失調だから栄養のあるものを食べなさい」だと!!

それ聞いて、速攻、友人のドクターへ相談。

そのドクターからも、「何かしらあると思うよ」との返答

そのことを父に伝え、

父はまたまた、仕事の合間に実家から一番近い総合病院へ受診。

私は
どんな結果だったのか、仕事が終わったあと父へ電話しました。

私

どうだった結果?

父

胃カメラして、すぐ入院って言われたけど

仕事があるからって今日は帰ってきた。

私

え?それって何。どんな感じだったの?

父

なんか、キノコみたいなのがぼこぼこあったよ

私

え・・・それって、、、。
はよ入院しな!

父

来週入院することにしたから

もうね・・・

きのこがぼこぼこってさ、

もう私の中では悪いことがぐるぐる。

その頃働いていた病棟は、消化器内科が入っている病棟で

ちょうど仲の良いドクターがいて父の状況を聞いてみた。

案の定・・・「ガンだと思う」

という返答。

キノコってさ!!ヤバいやつだよね!!

父の病名は「がん」

それも「スキルス胃がん」だった。

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父の病状

入院してから、それまで元気だった父が一気に病人になった。

摂れていた食事もとれなくなった。

というより胃の不快感が強く食べられなくなった。

母曰く、

『入院するまでは普通だった』

と言っていたが、本当なのか?

もしかしたら徐々に食べられなくなっていて、やっとそのことに気がついただけなんじゃないか?

結局父は

いったん入院したけど、もう少し大きい病院へ転院した。

転院して言われたことは、

「手術はしますが、根治の手術ではなく、がん細胞の量を減らす手術です。〇〇さんは予後は不良です」

それを聞いて、

職場で患者さんの告知の場に立ち会うことは多かったけど

『ああ、受け止める方はこんな気持ちなんだ』って何とも言いようもない

重苦しい気持ちになった。

手術してから

父は手術してからずっとこのまま治っていくって思っていたと思う。

でも

3か月に1回CTを撮っていたが、半年後肝臓と腹膜に転移が見つかった。

抗がん剤の点滴や飲み薬、胆管が閉塞していたためドレナージ(排液を身体の外に流す処置)するために入院。

食事がとれなくなり、本人は食べたいけど入っていかないと言っていたら

なんと、食道が狭窄していた。

針ほどの穴が開いている程度。

そりゃ入っていかんわ。

抗がん剤をしていても父のがんは、どんどん大きくなっていく。

身体の痛みも出てきて、麻薬も導入となった。

私は父が再入院となったことで、介護休暇をとり実家に帰ることにした。

父に何ができるのか?

父の病状はどんどん悪化していった。

胆道のドレナージをしていても、黄疸はなかなか良くならず、

全身のかゆみが苦しそうだった。

体中掻いても掻いても痒みは治まらない。

以前肝臓がんで黄疸が強く出ている患者さんのケアで

重曹水とハッカ、もしくはミント水で清拭をしていたことを思い出した。

そこから、病院へバケツと洗面器を持ち込み

毎日重曹ハッカ水で足浴・清拭・夜間眠れていないようだったので足のマッサージを開始した。

患者さんのケアでは積極的にマッサージを行っていたので、

その旨を父に伝えると快く受け入れてくれた。

もちろん、私だけがしていたわけではなく

母や妹たちも一緒にしていた。

身体のかゆみは重曹ハッカ水だけでは治まらなかったけど、
清拭したときは気持ちいいみたいで、終わった後うとうとしていた。

足裏のマッサージはテキメンで、痛みの訴えも減って臨時で痛み止めを追加することはなかった。

足の裏をマッサージしたり清拭するようになって、

昔は大きな父だったのに、手術してから食べられないせいもあり

どんどん痩せていって

小さくなった背中や,細くなった脚や薄い足の裏を見るたびに胸が苦しくなった。

泣きたい気持ちを我慢しながらケアしていた。

そうだアロマの資格を取ろう!

結局父は手術して1年後亡くなった。

それまで私は、実家と自宅を行ったり来たりしながら介護した。

アロマオイルを使ったケアでリラックスする父の様子を見ていた私は

もっとたくさんの知識が欲しいなあ

って思うようになっていた。

マッサージは自己流だったので、
もう少し何かリラックスしてもらえるコツがあるのではないか。

ちょうどそう思っていたころ、

職場の事務の方がアロマの資格を取ったと聞き

施術を受けさせてもらった。

初めて受けたアロマの施術は

めちゃくちゃ気持ちよかった!!

素人のマッサージも気持ちいいかもだけど、きちんと学んだ人のマッサージは

緊張していた体がどんどん緩んでいって、知らない間に眠ってしまうほどだった。

こんなに気持ちよくできるようになるなら、やはり勉強しよう!!

その日家に帰ると、

どこで学んだらいいか調べ、何カ所かスクールを調べてピックアップして

その中でも一番しっかり技術に力を入れているスクールに決め通いだした。

ここから資格を取って、

その頃働いていた病院で患者さんや、家族へ施術したり

していた。

最後に

アロマに資格を取ったことで、精油の知識もマッサージの知識、

人に施術するのも自信をもってできるようになった。

精油はマッサージや掃除、気分を落ち着かせたりと幅広く使える。

父がガンのなったことで、何か役に立つことはないかって、、、、

その気持ちから、資格を取ろうと思った。

資格を取ったからこそ、

沢山の、患者さんやその家族に対して

リラクゼーションのケアができるようになった。

今でも、父が生きていたら
もっといろいろケアができたんじゃないかって思う

何年たっても父のことを思い出す。知識があるって、やっぱり強いなってつくづく思っている。